原点

近代の黒人=アフリカン の生んだ文化(ヒップホップ = Hip-Hop < Street-Hop)は、 白人=ヨーロピアン による人類の歴史の中で、最も非道である人種差別という、世界中の有色人種を冷酷に、冷徹に支配することに対する、警告、抵抗、怒りであると位置づけて、日本人(白人から見ればアフリカンと同じ有色人種)として、彼ら黒人のヒップホップ思想を、どう理解するべきか、を考えます。

このサイトに書かれている内容は、実体験でヒップホップをゲトーの黒人たちと関わった人でないと、理解する事が難しい。

それも、白人からの酷い仕打ち(日常生活での人種差別、虐め)に対して抵抗、喧嘩できる力があり、実行した経験が必要です。本当のヒップホップを触れた事があるのならば、「白人の人種差別の酷さ、恐ろしさ」を経験しているはずです。

白人からの不当な人種差別、いじめに対して「人それぞれ」などという、言い訳をして、日本へ帰ってきた様な、卑屈な人間や、アメリカに来て、ゲトーの黒人たちと接点があっても、ロクに学ばない(あるいは、日本に帰って”学んだフリ”をする)せいで、本当のヒップホップがどうして生まれたかという、ゲトーの黒人ならば、おじちゃん、おばちゃんですら知っている ヒップホップは、有色人種に必要な思想を、その鋭い洞察力と個性的な観点、白人からの非道な人種差別、虐殺、略奪という、アフリカンが味わった苦しい実体験を元に、先頭に立って、人々(同じ有色人種たち)に警笛を鳴らす、文化のひとつです。

単純に、ダンスやファッション”だけ”で、自由に楽しく音楽や踊りをやっているのでは、軽率で表面上だけのヒップホップしか見えてきません。 「俺はどうしても歌って踊りをやりたいだけなんだ!」と言うのならば、それはそれで構いません。

その代わり、それはヒップホップではありません。「コマーシャル・ヒップホップ」「ヒップホップの様な何か」になります。実際には、黒人のゲトーで生まれ育った、ヒップホップを生み出した人間は、いまの「白人と仲良く遊んでいる偽物のヒップホップ」に怒りを感じています。 どうしてでしょうか?

黒人は白人よりも人種差別主義者なのでしょうか? まず知っておくべきことは、大企業や大新聞、テレビなどのおよそ金と権力=暴力を世界中で握ってきたのは、ヨーロピアン(白人)だということです。

その企業やマスメディアを使って、歌って踊って金儲けの商業主義のヒップホップを作ったのは、他ならぬ白人たちです。 金の力で自分たちの悪事、偽善を実行していくのが、 白人=ヨーロピアン です。

だから、いま私たちが日本で見れるヒップホップというのは、殆どがテレビやラジオからの ”白人企業の都合というフィルター” を通したものしか見ることが出来ない。

つまり、「これならば放送できる、できない」という、白人の許可証を貰った上で、公の前に初めて出ることが出来る。日本のテレビやラジオで見れるヒップホップは全てそうなっています。アメリカですら、もう大手のマスメディアから出てくるヒップホップは違うものになっている。

本来のヒップホップは、格好がいいからとか、金儲けのためにやるものでもありません。お金を支配しているのが白人たちであることを、黒人たちは知っています。しかもその白人たちのお金の支配の方法は、人種差別による民族虐殺、略奪です。

だから、あえてその金を稼いで、黒人たち同士でその金をまわして、白人の抵抗勢力として、サバイバルしているのです。 歌やダンスなどで彼ら黒人たちが「ただの娯楽として楽しむだけではなく、生きていく為の手段」として、 ヒップホップ=Street-Hop を生んだのです。

黒人たちは、白人たちが、金融の力で世界中の人々(有色人種、マイノリティー)を冷酷に、冷徹に支配して厳しい押さえ付けをして、有色人種に利益がなるべくまわらないように、白人たちがもっと儲かるように、世界の有色人種を社会的に管理、統制していることを、彼ら黒人は奴隷制度という時代を通して、身をもって体験して、理解しています。

それを、ヒップホップを通して、世界へと発信し始めたのです。ところが、その本来のヒップホップは白人にとって都合が悪いので、またも、白人たちは、金融の力、権力、暴力で厳しい押さえ込み、ヒップホップの本来の意味の歪曲、抜き取り、事実の改悪をしています。

そして、本当に、本当の、 ヒップホップ=Street-Hop をやったら、テレビにはまず出させてもらえず、仮にテレビに出るなり、ラジオに出るなりして、社会的にも影響力のあるヒップホップ・アーティストになってしまったら、その時は白人たちに殺されるのです。

そういう政治的な背景を知ってか知らずか、一部のヒップホップ好きは、「アンダーグラウンド」という、メインストリームではない、テレビのコマーシャル・ヒップホップではないヒップホップ=Street-Hopに魅力を感じています。

でもそれは、まだ単純に、「なんか今のヒップホップって、おかしくない?」と、薄々、気付き始めている(これはとても重要)だけか、良くて、反権力的(例えば、金持ちが嫌い、など)な考えから、メインストリームを嫌っているだけのものが殆どです。

日本人がヒップホップをする際に大事なことは、どんなアーティストが好きだろうと、どんなダンスが好きだろうと、上手、下手だろうとそんなことは関係なく、「ああ、今やっている(見ている)ヒップホップは本当は違うんだな。

でも、ヒップホップのダンスや歌は楽しいから、それはそれで楽しもう」という構えです。 要するに、今のヒップホップを十分に楽しんだ上で、心の片隅に、「でも本当のヒップホップは白人(権力者)に相当に酷い目に遭わされてきた、黒人の怒りなんだよな」と思っておけばいいわけです。

特に、アメリカへ来て黒人たちと、しかもゲトーの黒人たちとヒップホップやその他のカルチャーを感じたいと思っている人とって、大事なことになります。

アメリカに来る日本人を黒人にたちに紹介すると、その政治的な背景がわからないせいで「空気が読めていない」という状況に陥り易い。ただし、その様な人でもダンスなどを通じて「楽しむ」程度のことは出来ます。

本当の、ブラック・コミュニティ(黒人たちの領域)の中からは、今でも新しいダンス、歌の形が出来ては消えていく、というのが繰り返されています。彼らが、彼らのために楽しみや、互い啓蒙活動を繰り広げているのです。

それは簡単には他人に教えません。ましてや白人たちには、です。 白人によって、アフリカから連れ去られた先々の土地で、人間として扱われずに、いじめ抜かれた黒人達が、ヒップホップやレゲエの文化を創っていったのです。

自分の故郷(くに)から、不当にもさらわれて、アイデンティティーを失うという恐ろしさ、それでもたくましく、生きて、新たな黒人文化を形成する気迫は、日本人にも共感できるところです。

だから、そういう「ヒップホップ本来が持っている思想」を共有できれば、日本人でも、ダンスや、ラップ、おかしな白人が作ったヒップホップの”洋服”など着ていなくても、ヒップホップを楽しんだり、関わり合うことが出来ます。

というか、それが本来のヒップホップの姿です。格好や、ダンス、ラップの上手さは、その延長線上のものです。 例えば、「俺の恋人は白人警官にレイプされて、殺された。白人の名前はホワイトだ。そこのエリアから、監視している。お前らも気をつけろよ」というラップを誰かが歌ったら、それは、何もヒップホップ好きやラップ好き、ましてやヒップホップの格好だけをしている人間のだけの問題ではありません。

そういう情報はおばちゃんや、その辺の若い黒人の主婦だって耳を傾けます。 本来、アフリカン・アメリカンのDNAが共通である、という意味では、ヒップホップ、レゲエ、カポエラ、その他アフリカンによってもたらされた文化は、彼ら黒人たちにとっては同じ意味です。

それはアフリカから、世界各地に白人に連行されて、奴隷となってそれぞれのアフリカンが連れて行かれた先々の土地で生んだ物、という黒人のお互いの、共通意識があるからです。 オレはヒップホップやるけど、カポエラは嫌い、などという話はあり得ないのです。

さらに、わかったふりして「日本にも、日本なりのヒップホップの文化が出来た」などと言い始める人は、世界基準のスタートラインにすら、立っていないのです。その自分の勘違いを全く気付かずに、「白人のフィルターを通して作られた、”日本の改悪版ヒップホップ”を本当の黒人達のヒップホップと比べる」から、黒人たちに言わせると、「俺たち黒人のやる、ヒップホップがリアルに決まっている」となるのです。

それは、黒人が日本人を嫌いだから、とか、威張っているから、とかのような、意味ではなく、黒人が白人たちから味わった、人類史上でもおそらく最悪の、悲惨な体験を、日本人が共有していないか、もしくは少しでも理解してあげようという、「真心」のようなものが、感じられないからです。

白人のように、プライドだけ高く持って威張るだけ威張っておきながら、自分の今までやってきた、「偽物のヒップホップ」を素直に、反省するだけの潔さと、正直さがないような人間は、そもそも、ヒップホップの世界からはみ出ている、ということです。

そういった思想を、お互いに共有することが、黒人の日常であり、ヒップホップの生まれた、場所でもあるのです。そんなことを一つも出来ていない、日本人がリアルでないのは当然のことです。

むしろ、日本人のヒップホップをリアルだ、とおべっかを、ごますりを言う黒人がいれば、そいつも偽物である、ということになります。 黒人が日本人のヒップホップで「認めてはいないが、許している」のは、その熱意です。

好きなことに徹底的にやり込む、真面目で勤勉な、日本人を見て、間違っていても「怒る気になれない」というのが、本音です。かといって、日本人のヒップホップは正しい、ということにはならないのです。

そんな、ある種の思いやりも理解せず、「これがリアルヒップホップだ」などと言うから、いけないのです。白人の思想である、人権の尊重の考えにパッパラパーにされた、日本人が「日本のヒップホップだって、尊重されるべきだ」という、態度でいることが、問題なのです。

もちろん、尊重されてもいいのですが、そのためには、ヒップホップ本来の持つ、本当の意味を理解して、共有しなければいけません。間違っても、白人のフィルターのかかった、ヒプホップ程度で、黒人とダンスでもやって上手でしょ?なんて言ってはいけません。

彼ら黒人たちが、日本のヒップホップを見て、「なにそれ?」と、一笑するのはそのせいです。同じアフリカン(いわゆる黒人)DNAがベースであるという観点から、互いにリスペクトをするのであって、そのあとに、自分の生活環境などの理由によって、比重がヒップホップであったり、カポエラであったり、レゲエであったりするのです。

自国の、日本のことを放り出して、アメリカに憧れているような連中が、外見で「ヒップホップをやっている」から、賢い黒人はそれを見抜いて、笑うのです。どれだけラップやダンスが上手でも、それですら見せかけなのだ、ということを理解することが大事です。

アフリカンアメリカンだろうと、アフリカンブラジリアンだろうと、アフリカンのDNAです。日本人がその事に気づかずに、勝手に彼らの生んだ物に、違った意味でのジャンル分けをする事が、どれほど失礼な話かは、本人たちに聞けば、答えてくれるでしょう。

黒人たちが、ジャンル分けをするのは、便宜上のことです。それと、好きか嫌いかに関わらず、奴隷として白人に連れ去られて、先々の土地での、新しい黒人社会を作るしかなかったことに大しての一つの結果でもあります。

白人によって奴隷にされた期間(slavery process)、どれほど黒人たちが惨い体験をしたのかを、理解せずに、白人のフィルターがかかったヒップホップを黒人の前で見せれば、相手にされないのは当たり前です。

さらにアメリカに関して言えば、東と西で分かれると言われていますが、それですら、東西の離れた土地に、やはり白人によって、奴隷としてちりばめられてから必然的に生まれた、また一つの新しい黒人社会なのです。

そして、イーストサイドのほうが、ウェストサイドよりも奴隷解放の時期が早かったのです。そこに黒人社会の教養の差が生じています。

それをまた白人に逆手に取られて、「お互いに黒人同士で争わせる」という状況をつくらされたのです。

LAにきて、多少のギャングたちとダンスなどを通じて友人になるのも結構ですが、本当に仲良くなりたかったら、黒人のギャングという”結果”にもそこには”プロセス”があることを理解するべきです。

そういったことをお構いなしに、「ヒップホップの格好をまねて、Yo, what’s up, bro?」では、黒人たち本人に言わせると、まるで「白人が侍の格好をまねして、騒いでる」のと同じじゃないか、となってしまいます。

本当の、黒人たちは哲学や思想を毎日、毎晩、語り合い、その表現方法にヒップホップなどを使っているのです。白人によって抑圧された、どうしようもない貧困社会の中で、自分たちの楽しみと、生活の糧(かて)を見いだしながら。白人たちは黒人に何も与えなかったのです。

白人は、奴隷として黒人の労働力を使って、莫大な富を得て、お返しに、略奪、虐殺などを、黒人に対して行ったのです。 ギャングという結果だけにカッコいいからと注目するのではなく、なぜギャングになるのかということぐらいは、知っておかないと、本当の黒人のソサエティは見えてきません。

そこには、ギャングたちの抗争を横目で見て笑っている、特定の集団が存在するのです。黒人達を、その集団は数百年にわたって支配して、黒人からあらゆる富を搾取しているのです。その「漁父の利」を味わっている人間たちへの抵抗勢力としてギャングが存在するのです。

黒人を社会的に追い込んで、互いに争わせて、漁父の利を得ている連中が、白人なのです。だから、本当のギャングは、白人を攻撃するのであって、黒人同士で争うギャングは、勘違いなのです。

もしくは、真実をわかっているギャングが、わかっていないギャングと争っている構図なのです。 単純に、同じ黒人ギャング同士で、殺し合いをしていればいい、という問題ではないのです。

黒人たちにとって(実はそれはの有色人種にとっても言えることですが)本当の敵は誰なのか。それをヒップホップという、媒体を通じて情報や政治思想をシェアしているのです。

だから、アジア人である日本人が出来ることは、まず黒人の立場を日本人に置き換えてみて、いったい誰が、日本人に対して、何をしてきたか、そしてしているか、をよく知り、それに対して、抵抗する意識(もう騙されないぞ)を持つ、もしくは、何らかの思想を持つことなのです。


黒人の訴え

ですから、日本人がヒップホップを通じて、黒人と喧嘩したりすることは、本来はナンセンスなのです。ただ、あまりにも分かっていない、日本人のヒップホップ好きを見かねて、「それは間違っているよ」と、黒人たちが言いたくなる気持ちを、少しでいいですから、理解するべきなのです。

最近のヒップホップは、その「白人にとって都合が悪い」という理由で、本来の目的が彼らによってすり替えられています。単純に、見た目だけの格好やダンスのテクニック、金になるかならないか、白人の企業がスポンサーになって、ヒップホップを白人の都合のいいように宣伝する。そこに、新しい人種差別の問題があるのです。

本当の黒人は、そのことを知っています。だから、地元で話す時に、そのことを毎日、毎晩、何かあれば、語り合うのです。そこには、日本にありがちの、見たくれや、スタイルだけこだわって、結局はプライドだけが高い、弱いものいじめも平気で出来るような、勘違いのヒップホッパーは存在しません。 逆なのです。

「社会的に(白人によって)弱者である黒人にも、人間としての権利がある」という発想から、ヒップホップは生まれているのです。そのプロセスから、日本人のように、ギャングの格好をしながら、日本人同士で喧嘩などはあり得ません。 きちんと、意味があるのです。

俺たちは互いに助け合って生きていくんだ。そうしなければ、白人たちにもっと、食われてしまう。という考えです。それ以外は、白人の都合によってすり替えられた、偽物のヒップホップなのです。

「ヒップホップは自由である」、などとおかしなことを言う人に限って、その人や、その人の周りの連中は、見た目にこだわるし、相手と話す時にも、どんな服装か、どんなアクセサリーを付けているか、そんなことにこだわって、しっかりとチェックするために、「上から下まで」舐めるように見てから、会話に入ったりするのです。

まさに、見た暮れだけにこだわる、白人ヒップホップそのものです。 話を人種差別のことに戻しますが、単に人種差別をしたい、という欲求だけで人種差別をするというケースは、ごく稀(まれ)です。

実際には、弱者が強者の都合によって、管理、抑圧、搾取され、強者の利益のために、弱者が強制的に富を奪われることなのです。 世界基準では、その強者と弱者のライン引きが「人種で決められている」から、人種差別となるのです。

ヨーロッパ白人はいままでそれを実行してきました。今でもやっています。

ほぼ単一民族である日本人に分かりにくいのは、このことでしょう。 ちなみに、日本人にとってヨーロッパ白人とアメリカ白人は別物と考えている節がありますが、世界基準ではどちらも同じ白人です。

国で別れているのでは?、と思ってしまうのが日本人ですが、白人であるという条件によって、兄弟と同じような扱いになるのです。 アメリカ、というか、世界で、貧困問題が絶対になくならないのは、その強者、弱者のライン引きを数百年間に渡って、人種差別によって行なってきているからです。そして、自分たち白人の富をいまさら失いたくない、という理由からアメリカ国民の間で小競り合いがあるのです。

アメリカに関して言えば、「黒人が白人と同じ人権を主張するために、紛争が起きる」のです。たったこれだけの、日本人から見れば、当たり前のように見える、こんなことを白人は許さないのです。黒人が白人から存在を否定されるのは、「もう昔以上の、奴隷制度を続けるのも無理だし、ほっといても、何も俺たち白人に利益を持ってこないから、黒人の権利は認めなくてもいい」という理由からです。

だから、スポーツ選手やラッパーなど黒人全人口の1%もいない、黒人だけがテレビ(当然白人所有)などに出され、優遇され、「ほら、俺たち白人は、お前ら黒人を、こんなふうに優遇しているだろ?これ以上は、文句を言うなよ?その他の黒人どもは黙ってろ」と汚い手を使っているのです。 どのような形であれ、白人に利益をもたらす人種は優遇され、それ以外の人種は白人によって徹底的に虐められる、ということを日本人は知っておく必要があります。

それは、白人が人種差別をするから、だけではなく、生産性(ここでいう生産性とは、物やカネを生んで白人に貢献すること)を持たない人種を白人が「地球上において、無駄メシを食わさせない」という、ヨーロピアンなりの、自惚れた地球上の人類の経営者としての思想があります。 では、日本人はそんな白人達からどのように扱われているのか?日本人の感覚では、意外と彼ら白人から、いい扱いをされていると思いませんか?されているとすれば、どうしてだと思いますか?洞察力のある人は、もう大体わかるはずです。

その理解力をお互いに深め合うのもヒップホップの役目です。 何度も言いますが、勝手に踊って歌っていれば、ヒップホップなのではないのです。 その程度で、集まるヒッホップ連中こそ、フェイク(偽物。何も知らない勘違い)なのです。あるいは、今まで自分が知っていたはずのヒップホップが違うかもしれない、ちょっとぐらい見てみようかな、と思える、素直な気持ちがない奴がフェイクなのです。

それができない連中が、見た目の格好に徹底してこだわり、自分がヒップホップをやってきた、などと、おかしな自信にはまり、さらには、弱いものいじめの精神(イケてるグループとイケてないグループとの差別化をしたり馬鹿にしたりすること)を持っているのです。 それから、日本やアメリカ以外にも目を向けて、政治、経済、軍事において、世界規模で人種差別をしてきて、多人種の富を奪ってきた人種はだれなのか?ということに気づけば、本当の答え(私たち有色人種のような、搾取される側にとっての本当の敵です)が見えてきます。

その「本当の敵」の、「100%全員が敵ではないように見える」ことが、事態をややこしくしています。たとえば、一番率先して(目立って)、世界中で差別をして搾取、略奪を繰り返して、富を得る集団がヨーロッパ白人(アメリカ白人も含む)の中に10%いたとします。では、残りの90%は、「限りなくイノセント」(推定無罪)となるわけです。

ところが、果たして本当にその残りの白人はイノセントなのでしょうか?その90%のヨーロッパ白人(アメリカ白人も含む)たちは、10%の同じヨーロッパ白人(アメリカ白人も含む)による利益を享受(きょうじゅ)していないのでしょうか? もしかしたら、「人種差別反対!」といっている白人の中に、偽善者が存在するのかもしれない。

自分の利益のために巧妙に罠を仕掛けている人間がいるかもしれない。そして、そんな「人でなし」がいるとしたら、それはどのような奴なのか?このような思考回路(政治思想)の中で、ヒップホップはどんな存在なのか?

そこには、単純に貧困だとか、差別だとか、ドラッグだとか、ラップやダンスといった、個々の問題ではではすまないことが沢山あるのです。日本人が黒人と接するときに、本当に知っておいて有意義な事を伝えれたら、そう思って彼ら黒人たちとここで情報発信をしています。