Eminemとは

エミネム、本名:マーシャル・ブルース・マザーズ3世、Marshall Bruce Mathers III、(1972年10月17日) アメリカ合衆国のヒップホップMC、プロデューサー、俳優。1990年代最も成功したラッパーと言われています。 自身は「スリム・シェイディ(Slim Shady)」という道化師の別人格が存在するとし、スリムあるいはシェイディという名前が歌詞にも頻繁に登場します。

エミネムというステージネームは、本名のイニシャル「M&M」を早口にしたら「Eminem」になったというものが由来とされています。 エミネムの別人格であるスリム・シェイディのコンセプトを思いついた1997年以前から自身をエミネムと名乗っており、初期にM&Mの名で活動していました。 MTVが選ぶ「史上最も偉大な10人のMC」ランキングでは、KRS・ワンやラキムなどが並ぶ中、堂々の9位に選ばれた。又MTVが選ぶ2010年の「最もホットなMC」ランキングでは、昨年の圏外から堂々の1位に選ばれました。

2000年代の10年間で最もアルバムが売れたアーティストとしても有名です。 家族構成 父 マーシャル・マザース 2世 エミネムの母親とは離婚する。 母 デビー・R・マザース=ブリッグス エミネムの父親とは離婚する。息子のエミネムがラップの中で母親の中傷を歌ったことに対し、名誉棄損で1,200万ドル(約14億円)を要求。結局は25,000ドル(約300万円)で和解する。 弟 ネイサン 1986年生まれ。 娘 ハイリー・ジェイド 1995年12月25日生まれ。母親はキンバリー・マザース。

彼はアメリカ合衆国ミズーリ州セントジョセフ生まれ。 曽曽祖母は1870年代にアメリカに渡ったスコットランドからの移民。 幼い頃から極貧の環境に育ち、12歳の時までカンザスシティとデトロイトを母親と共に2、3ヶ月ごとに転々と過ごす。 友達もできず、いじめられ、自殺未遂も経験する。悪環境の中、自然とアフリカ系アメリカ人層やヒップホップに親しむようになる。 14歳ごろから本格的にMCとして活動しはじめ、黒人ばかりの聴衆からの差別に対抗するためにバトルMCの道に踏み込む。 黒人優位のヒップホップ界において、白人ながらいくつものMCバトル・コンテストに挑戦する。 これは当時のアメリカヒップホップの世界では異例ともいえます。

Lincoln High Schooに入学した彼は、彼と同じように貧しい生活をしている黒グループと友達になり、ラップに傾倒することになります。 17歳で同高校を退学したEminemは本格的にラップにのめり込み、成功しいていきます。極貧の中から這い上がり、成功する。 まさに、アメリカンドリームをつかみ取った男といっていいんじゃないでしょうか。 日中は工場で働き、夜はMCバトルに盛んに参加しレコード会社にデモ・テープを送りまくっていた時期、 インタースコープ創始者ジミー・アイオヴィンの自宅にあったテープを聴いたドン・ドクター・ドレーが惚れ込み、「アフターマス」と契約したことを機に彼の人生が変わる。

その後数々の栄誉な賞を手に入れるも、私生活では暴力事件、裁判、離婚とスキャンダル性を増していく。 2010年にリリースしたアルバム曲「リカヴァリ」は342万枚の売り上げがあり米国内で最も売れたアルバムであると発表された。 自主制作したテープ 「The Slim Shady EP」 が2万枚の売り上げを記録する。 エミネムは西海岸のヒップホップ・ラジオ番組に出演し、フリースタイルを披露。これをきっかけに、観衆からも注目を浴びることになる。 ピュラー音楽史的には、世界的に売れた初めての白人ラッパー(個人)で、白人のヒップホップ・ファンを大量に増やしました。 人種差別がまだ残るアメリカでは、アフリカ系アーティストを白人が賞賛するのは抵抗があった環境でした。


獲得賞など

したがって、ファンを自称することに心理的抵抗が少なくなる白人アーティストは、白人にとって待望のスターとなる訳です。 日本のヒップホップ・ファンはラッパーという呼び方をあまり好まないが、アメリカでは普通にラッパーと呼んでいます。 ヒップホップをあまり聞かない洋楽ファンでもラップのうまさが分かります。「マイ・ネーム・イズ」は初期の代表曲です。 「カモン・エヴリバディ」「ロック・ボトム」はいい曲。全米2位、400万枚セールス。 着実に注目を集めた彼は2001年には"Marshall Mothers"をリリース、このアルバムが発売後わずか一週間で200万枚近くを売り上げるという驚異的な記録を打ち立てる。

これほどの人気振りを示したためか、アルバム中で彼が攻撃した数々の対象、母親、元妻、ゲイ団体などなどから訴訟を起こされた彼だが、その後も旧友らとD12としてのファーストアルバムをリリースするなど精力的に活動、さらに映画"8 Mile"の公開に至ります。 2002年、3枚目のアルバム『ザ・エミネム・ショウ』の発売と相前後して半自伝的映画「8 Mile」に主演しました。 主題歌「ルーズ・ユアセルフ(Lose Yourself)」で2003年度アカデミー歌曲賞を受賞。

尚、『ザ・エミネム・ショウ』はアメリカでの初動売り上げは132万枚(当時歴代5位)。累計売り上げはアメリカだけで930万枚にのぼりました。 全世界で1900万枚以上を売り上げ、2002年に世界で最も売れたアルバムとなりました。 2004年、4枚目のアルバム『アンコール』からのシングルカット曲、「ジャスト・ルーズ・イット(Just Lose It)」のPVではマイケル・ジャクソンの幼児虐待疑惑や鼻の整形を皮肉った物まねを披露し、マイケルや彼のファンから反感を買うこととなり、このPVの放送を中止する放送局も現れました。

また米国大統領選の1週間前、「アンコール」収録曲「モッシュ(Mosh)」のPVをインターネットで公開し、反ブッシュの考えを明らかにすると、 また、2004年にアップル社が「ルーズ・ユアセルフ」を無断利用したCMを放映し、訴訟へと発展したが、その後和解。 それまでかたくなに曲の提供を断っていたが、2005年10月にiPodのCMでタイアップを正式に行いました。

その一方、自身のレーベルShady Recordsを立ち上げ、50セント(50 Cent)とそのグループG-Unitを世界に送り出し、トップアーティストに仕立て上げるなど、誰にも止められない勢いを見せた。 その勢いのまま、2004年には"Encore"を発表。ブッシュ政権を批判した"Mosh"や"We Are Americans"、"Like A Toy Soldier"などメッセージ性の高い楽曲はもちろん、お得意のお下劣ソング"Just Lose It"などをヒットさせています。

以降はShady Recordsのコンピレーションなどをリリースするも、2009年までブランクを空けた。同年には久々のアルバム"Relapse"を発表、続けて"Relapse 2"を発表すると予告したが、結局"Recovery"とタイトルを改めて2010年に発売されました。